コラム「一本の樟の木とともに」

彫刻家 吉本義人

 1981年。奈良渕町に住居とアトリエを建てて東京より転居しました。引越しの荷ほどき作業中の夕暮、近くの山の上から松明の火が溶岩のように流れ下っていました。「浅間の火祭り」です。今年の七月で40年間の時が経る事になります。
当時の我家から見える風景は、関東平野につき出た唐沢山やその前方の浅間山のふもとまで、区画整理は終了していましたが、一面の水田と畑。家は一軒もなく広がっていました。現在は、ほぼ住宅にうまり水田もわずかに残るだけになりました。東京のアパート暮らしから広い土地に移り住むようになって、まず樹を植えようと思いました。田沼町の初午に出かけ、指の大さの樟の本の苗を買って来ました。深い考えもなく隣地との境から2 メートルの場所に植えたのですが、春の大雪で埋まり枯れたと思って引き抜こうとしたら、雪どけの地表のそばから三方に若葉が出ています。「生きている!」と思いました。一度死ぬ思いをしたからなのか、その後ぐんぐん大きくなりました。現在、幹の下部の直径は1 メートルを越え、高さは15メートル程です。三方の若葉は50センチの大さの三本の幹になっています。問題は、地上5 メートルから分かれた枝が隣地にはみ出している事です。先の事を考えずに植えた私の責任ですが、築50年を過ぎた平屋のアパートのゆく末を考えていた大家さんと話しがまとまり土地を譲ってもらう事になりました。樟の本のおかげで私の老後の設計は大きく変形した事になります。
40年間のアトリエから生まれる彫刻作品は、東京での個展が中心ですが、海外では、韓国(ソウル)、ドイツ(ベルリン)、中国(上海) での制作、発表をくり返して来ました。佐野では、2015年新市庁舎建設に供ってステンレスの大きなモニュメント「記憶しての構造」を造らせていただきました。二棟のアトリエのひとつは、美術の展示に限らず、演劇、ダンス、映像、音楽等の様々な表現の場となるべくギャラリーに改装中です。残るアトリエ(工場というべきか) も私の制作が出来なくなれば、次の彫刻家に開放してゆきたいと思っています。東京や佐野の友人達に手伝ってもらいながら「北関東アート拠点」という構想での運動を作ってゆきたい。一本の樟の木とともに。

※ 記載内容は「さの文化第16号」(令和3年3月31日発行)より転記しました